気になる海外の政治・経済・・・その3

一九〇〇年以前のテキサス州の主要産業は、綿花、牧畜、小麦およびトウモロコシ生産等に依存した、圧倒的に農業を中心としたものでした。

しかし、一九〇一年ボーモントのスピンドルトップで大規模な油田が掘り当てられ、同州の石油産業発展の引き金となったそうです。

そして第二次世界大戦に入るや、テキサス州には石油産業以外の近代的産業の芽が形成されました。

連邦政府による後進地域振興等の一環として、州内に軍事基地が設けられ、航空機を中心とする軍需関連産業が発展したのです。

さらに戦後も、連邦政府は莫大な軍事契約予算を注ぎこみ、テキサス州はカリフォルニア州に次いで全米第二の軍事・防衛産業請負州へと変貌を遂げていったのでした。

気になる海外の政治・経済・・・その2

州議会では、上・下両院とも民主党が依然として共和党を抑えており、草の根レベルでは民主党が支配しています。

これまで、テキサス州といえば、カウボーイやロディオに代表されるように、男性社会のイメージが強いようです。

しかし、一九九〇年の州知事選挙では民主党の女性候補であるアン・リチャードの当選に象徴されるように、女性勢力はあなどりがたく、現在テキサス州でヒューストン市をはじめ五つの市長職を女性が占めています。

そして、一九九〇年に実施された国勢調査後、近年の人口増大によりテキサス州では下院議席が三つ増えて、三〇議席となったそうです。

また同州の大統領選挙人票も三二票となり、今後大統領選挙戦でのテキサス州の政治動向は無視できなくなっています。

気になる海外の政治・経済・・・その1

テキサス州は他の南部諸州と同様に、伝統的に民主党が多数派を占めて一党支配を堅持してきました。

しかし第二次世界大戦後、共和党は大統領選挙をはじめとして、各種の選挙において次第に支持者を拡大しつつあります。

例えば州知事選挙でも、一九七八年と一九八六年には共和党の候補者が当選するなど、事実上民主党の支配体制は崩れており、連邦レベルと同様に民主党および共和党による二大政党が対立する状況が見られるようになりました。

一般に、共和党の支持基盤は圧倒的に大都市-郊外地域に住む保守的な白人中産階級であり、共和党の支持者には移住者や企業人が多いです。

これに対して、民主党の支持基盤は都市の中心部と農村地域であって、地元生まれの白人、黒人およびヒスパニクスなど下層階級に支持者が多いのです。

気になる州の歴史・・・その3

一八三六年、サンアントニオの「アラモの砦」での戦闘をはじめとするメキシコ軍との抗争を経て、サム・ヒューストンの率いる独立軍が勝利を収めてここに「テキサス共和国」が成立しました。

テキサス共和国はその後、九年間も存続しました。

しかし一八四五年、財政上および防衛上の理由から、テキサス共和国は黒人奴隷制度を認める「奴隷州」として、アメリカと条約を取り結んで併合されたのである。

そして黒人奴隷制度をめぐって、一八六一年に南北戦争が勃発しましたが、この戦いではテキサス州は南部連合側にくみしその一員として北部の連邦軍と戦い敗北したのです。

このため、テキサス州は四年間も北軍の軍政下に置かれ、再び連邦に加盟が認められたのは一八七〇年のことでした。

気になる州の歴史・・・その2

テキサス州はかつてスペインやフランスの支配下に置かれていました。

しかし一八二一年メキシコがスペインから独立すると同時に、メキシコの領土の一部となりました。

従って、テキサス州の近代史もまた、メキシコが独立した一八一二年まで遡らねばなりません。

この年に、ステファン・オースチンがメキシコ政府の許可を得てサンフェリブデオースチンに白人による最初の恒久的な居住地を設け、本格的な植民を開始したのです。

しかし、一八三五年メキシコではサンタ・アナが中央集権国家を樹立し、連邦共和制は廃止されました。

そこでこれに反対するテキサスの白人移住者たちは、連邦主義の擁護を名目にして、仮政府設立の宣言をしたのです。

気になる州の歴史・・・その1

テキサス州には、これまで六つの異なった「旗」がなびいたそうです。

一五一九-一六八五年にはスペインの国旗が、一六八五-九〇年にはフランスの国旗が、一六九〇1一八二一年には再びスペインの国旗が、一八二一-三六年にはメキシコの国旗が、一八三六ー四五年にはテキサス共和国の国旗が、一八四五ー六一年にはアメリカ合衆国の国旗が、一八六一-六五年には南部同盟の国旗が、そして現在は、再びアメリカ合衆国の国旗です。

現在使用しているテキサス州の旗ですが、それはテキサス共和国時代の国旗を採用したもので、旗に打ち抜かれたローン・スター(一つ星)は、州の別称ともなっています。

ところで、"テキサス"という州名の由来についてですが、テキサス州には古くから何種類かのアメリカ・インディアンが住んでおり、彼らは同一種族の中で同盟を結び、互いに「テシヤアス」"友人"と呼びあっていたそうです。

このテシヤアスが後に、スペイン人によって「テイジヤス」と筆記され、やがて現在の州名である「テキサス」となったらしいですよ。

おすすめです 4

ゼーナ・ヘンツ 文

1911年、スイスに生まれる。

チューリッヒでモンテッソーリ教育に携わった後、結婚して故郷へ戻る。
フルリーナと山の烏、大雪などの作者として知られている。


アロワ・カリジェ 絵

1902年、スイスに生まれる。
1966年度ハンス・クリスチャン・アンデリレセン国際児童図酸メタルを受賞。

アルプスの兄弟(ゼリーナ・ヘンツ作光吉夏弥訳)、大雪`ゼリーナ・ヘンツ作生野幸吉訳)、マウルスと三びきのヤギ『マウルスとマドライナ(以上、大塚勇三訳岩波書店)などの作品がある。

1985年他界。

おすすめです 3

澄んだ空気とあたたかい家族に包まれたグアルダ村のウルスリ-----負けん気と勇気に満ちた自分たちみたいな男の子を、国籍・性別関係なく体験できることは、素敵だと思います。

「自分のこども時代のかがやきを、すべての子、とりわけ町のこどもたちに伝えたい」と願ったカリジェの描線や絵の具の筆触からは、画家の手のぬくもりが伝わってきます。

彼は6冊の絵本のなかで山の自然や予どもたちの日常の暮らしを生き生きと描きながら、子どもたちが最も輝く瞬問を見逃しませんでした。

晴れやかな、華のある場面の表現には特に心躍るものがあります。

ウルスリが誇らしげに鈴行列の先頭を歩く場面や、同じシリーズの絵本『大雪』では飾りをつけたそりが走る場面やパーティーの場面など。

カリジェが若い頃、仮面舞踏会のコスチュームデザインで人気を博したという話に、深くうなずいたことでした。

おすすめです 2

ところが"ちび"のウルスリは、大きな子たちの余りもので一番ちっぽけな鈴しか借りることができず、行列の後ろからついといでと言われてしまいます。

悔し涙に暮れるウルスリですが、夏の山小屋にあった大きな鈴のことを思い出し、果敢にもひとりきりで一晩かけて取りに行くのでした。

安野光雅氏の言うところの「男の子が仲間に入っていくときの、負けてはならぬと思う、悲しみにも似たこころの動き」(『カリジェの世界』)や彼の冒険を、自分のことのようにたどれる絵本です。

印象に残ってる絵本~おすすめです

ゼーナ・ヘンツ 文 アロワ・カリジェ 絵

「ずっと遠く、高い山やまの、そのおくに、みなさんみたいな男の子が、すんでいます。小さな、まずしい、この村の、いちばん下にほりんとあるのが、その子の家です」

村の遠景からページをめくるごとにだんだん近寄っていって、主人公・ウルスリがクローズアップされます。
舞台はスイスのグアルダ村。


明日は待ちに待ってた「鈴行列」のお祭りの日。

男の子たちがみんな首から鈴をぶら下げて、村の家々を訪ね歩きお菓子や果物をもらうという、この地方に伝わる晴れの行事です。

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